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[mix]ひそかで意味のない日記。映画とバスの日々、タメになる情報皆無。ダメになる情報少々。
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日曜日の午後、子供と映画を観に行き、上映前にビールを飲んで、寝てしまった。

2010/03/12 00:22
子供が映画に連れて行けというのである。連れて行けと言ってくれるうちは連れて行こうではないか。
電車を乗り継いで多摩ニュータウンの奥地まで行く。軍隊の侵略作戦を描く映画だが、わたくしはあまり興味がない。入場券を買い、子供にポップコーンと飲み物を買い、わたくしは生ビールを買う。「レギュラー」と「ショート」があるという。「レギュラー」を注文したら、ずしりと重い。けっこうな量がある。これは苦情ではない。

指定された席に座って、ビールを飲む。ポップコーンが合う。うまい。ぐびぐび飲んでも減らない。映画が始まり、侵略軍の闘いがスクリーンに展開される。子供はときに笑いながら侵略戦争を観ている。わたくしはビールを飲んでいる。ビールを飲みながら、映画館の客席でビールを飲むことについて考えたりしている。

ビールもポップコーンも無くなって、わたくしは数分間眠ったらしい。その数分間で物語が急展開したようだ。わけがわからない。

しかしそれでいいのである。わたくしは映画を鑑賞するために来たのではない。子供を映画館まで連れてきただけなのだ。映画を楽しんでいる子供の横で居眠りをするために、ここに来たのである。

ビールを飲んだわたくしを眠らせない映画もあれば、眠らせる映画もある。それでいいではないか。いいのか。

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仕事の後、ひとりで映画を観にいって、上映前にビールを飲んで、それでも眠らなかった

2010/01/23 19:57
映画を観ないことを趣味とするワタクシであるが、映画を観ることだってある。今年にはいってすでに『レイトン教授と永遠の歌姫』というのを子供と観にいっている。この数年、子供向けの映画を大人料金で観るということをしていたのである。

そんなワタクシであったが、2年ぶりに一人で映画を観ることになった。2年前の映画というのは早稲田松竹で観た「アパートの鍵貸します」という古い映画であった。今回は違う。新しい映画である。新しいだけではない。カラー作品だ。

映画は早稲田松竹から遠く離れた多摩ニュータウンにあるシネコンで上映されている。仕事を終えてバスと電車を乗り継いで到着する。劇場に入り、チケットを買う。映画が終わるのは23時過ぎなので、売店でホットドッグを買った。飲み物はいらないかと「研修中」の札を付けた女子に問われ、「ビール」と言ってしまう。ホットドッグにはビールでしょう。眠くなったら寝てしまおう。「研修中」女子は缶ビールを紙コップに丁寧に注いでくれた。

入場すると、客席にいたのは若い女子2名のみ。指定された席に座ってビールを飲む。オマケにつけてくれたポップコーンも食べながら。映画が始まるまでに入ってきたのはすべて若い女子で、観客はワタクシを含めて8人だった。300人以上入る客席にである。

さて、ビールを飲んだワタクシは眠ったか。寝なかったのである。ビールを飲んだワタクシを眠らせない映画がある。映画がもつ力をあらためて感じた夜だった。こうして油断していると、映画を毎週観たりするような生活に陥ってしまうので注意が必要だ。さらに、観た映画について何か語ったりするようになってしまうかもしれないので注意が必要だ。
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「秋日和」と「麥秋」という2本の上映告知をみて連想したもの

2009/11/08 22:21
「秋日和」と「麥秋」という2本の映画について、ワタクシは何も知らない。いまその名前を知ったくらいである。
早稲田松竹映画劇場で12月19日から25日まで上映されることがWEBサイトに掲載されている。
http://www.wasedashochiku.co.jp/lineup/schedule.html

「秋日和」と「麥秋」が各1枚のスチール写真とともに上下に並んで紹介されている。
上が「秋日和」で下が「麥秋」だ。写真にはそれぞれ3人の女性が写っている。畳の部屋の中で座っている姿である。
ほぼ同じ構図だ。ほとんど同じ構図の写真と、ともに「秋」の文字が入った題名の2本の映画。
ワタクシの脳髄にうかんだ言葉は「類似品」であった。

しかしよく見ると両作品とも同じ監督が撮っている。「類似品」を比較して上映する企画ではないようである。

類似品
http://www.edo.net/machida/kateiyaku/niserero.html



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「あらすじ」を読んで、その映画について得られるものはあるのか。

2009/11/01 20:02
「幸福の黄色いハンカチ」という古い映画をワタシはまだ見ていない。テレビでその一部を知っているだけである。
ワタクシにとって「幸福の黄色いハンカチ」という作品は

刑期を終え網走刑務所を出た中年の男が、駅前の食堂で一本のビールと、しょう油ラーメン、カツ丼を注文する様子を描いた掌編映画。


である。ワタクシにとって、ね。
このシーン(でいいのか映画用語知りませんが)だけが「幸福の黄色いハンカチ」という題名にリンクして記憶されている。ここ以外は「幸福の黄色いハンカチ」ではないと断言できる。自分に対しては。

ワタクシにとってこの映画にストーリーはなく、以下に並べたような「あらすじ」から得られるものはないし興味がない。たぶんこの考え方には大きな誤りがあると思うが、その誤りは個人的な問題でありどうでもいいことである。

あらすじ 幸福の黄色いハンカチ - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD18741/story.html

幸福の黄色いハンカチ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E3%81%AE%E9%BB%84%E8%89%B2%E3%81%84%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%81#.E3.81.82.E3.82.89.E3.81.99.E3.81.98

TSUTAYA online - 幸福の黄色いハンカチ DVD
http://www.tsutaya.co.jp/works/10006878/summary.html

Yahoo!映画 - 幸福の黄色いハンカチ
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id90357/
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観ていないことを忘れるほど数多くの映画を観ない日々

2009/10/27 21:32
映画をみる人たちはなぜ映画を語りたがるのか。
皆さんお気づきのように、これはうそである。語っている人しか見えないだけである。映画を語らない人は大勢いる。
映画を観る人の中には映画を語る人もいる、というだけだ。そして皆さんご存じのように語り方も様々である。面白いツマラナイから始まって、好き嫌いに終わる。だいたいその幅の中に収まっている。嘘ですけど。★ナシから★5つくらいに収まっている場合もある。
映画を語っているはずがいつのまにか宗教や政治の話になったりする。それもまた面白い。俳優の話になっていたり音楽になっていたりもする。映画そのものを語っている文章に出会うこともあるが、それは映画について語っているように見えない場合もあって、ますます混乱するのである。

しかしながら、ワタシはしかしながらという言葉を使ってみたかった。
しかしながら、ワタシは映画について書かれた文章を読むのが嫌いではないのである。むしろ好きだ。その文章が語る対象である映画本編を観ていないのにである。これはいったい何なのだろうか。

なにかに似ているのだが思い出せない。


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「見ないと損」な映画とは何か。

2009/10/26 18:59
相変わらず映画を観ない日々である(しかし「劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド・パール アルセウス 超克の時空へ」とか「ベーカリー街の悪夢」などは観ている。どうしたことだ)。あまりに観ないので映画を観ていないということを忘れてしまった。念入りに映画を観なかった日々が懐かしく感じられる。映画を観ないことを忘れてしまうのはおそらく早稲田松竹の前を通過しなくなったからである。

それとは関係なく映画のブログである。インターネットを検索すると映画を観ている人ばかりいる。映画大繁盛である。なぜなら、観た映画について語る人は多いが、映画を観ないことについて何かを語る人はほとんどいないからである。映画のブログと言えば、観た映画について何かが書いてあるものとだいたい決まっている。「★★★」などの評価がされている事も多いし、「これは見ないと損!」などと書かれている場合がある。見ないと損!なのだからものすごい映画なのだ。

「見ないと損」な映画とは何なのだろうか。単純に考えると「見たら損」な映画のほうが特定しやすい。映画を観るのに交通費や入場料を使い、時間を使うのだから。それだけの価値がなければ「損したなー」と思っても不思議ではない。
「見ないと損」というのは、見ないと損するぞという脅しであるが(うそ)、見ないということは「映画」と「見ない人」は関係がないのだし損のしようがない。見ないと損。ナゾである。そもそも映画鑑賞とは、損とか得とか、そういうものではないはずである。見ないワタシが言っても説得力は皆無であるが。
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フィルムはただ、映画の上を流れていく

2009/03/29 16:54
年が明けてから3月の半ばまで映画を観ない生活を維持していたが、先日ついに今年はじめての映画鑑賞をすることとなったのでここに報告しておくことにする。誰に対して報告しているのかワタシにもわからないのだが。その映画とは、角川映画の「超劇場版 ケロロ軍曹 撃侵 ドラゴンウォリアーズ であります!」である。切符売り場のお姉さんには単に「ケロロ」と告げ、大人と小学生の切符を購入する。東宝なんとかデーとやらで、なんと大人も1000円である。昨年の「超劇場版ケロロ軍曹3 ケロロ対ケロロ天空大決戦であります!」のほうが出来がよかったのではないかなどと思ったものの、実は映画にとって出来不出来などどうでもよいことであるし、仮にどうでもよくないのだとしても、ワタシがこの映画の出来不出来に言及したところで意味はない。映画が無意味であるということではない。なんだかわからない。

映画はただそこにあり、その上を様々などうでもいいことが流れているのである。名優とか名監督とか映画音楽とか画面フォーマットとか音が出るとかでないとか色がついているとかいないとか、コンピュータとかハイビジョンとか興行収入とか著作権とか、それらは映画の上のほんの小さなノイズのようなものであって、映画はただ映画として、厳然と、悠然と、なんだかわからないがとにかく存在していてくれればよろしいわけで、それ以上のことについては実はどうでもいいのではないかと思えてならない。思えてならないのだがまるで説得力がない。いい傾向である。
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